ダンスホールレゲエが流行り始めた80年代。
ダンスホールクラシックレゲエ。
それまでは、ルーツレゲエが主流だったのですが、
この時期からはどんどんダンスホールレゲエが流行っていきました。
コンピューターライズド。
そんなダンスホールクラシックレゲエをテーマに記事にしていきます。
ダンスホールレゲエの始まり1980年代
1970年代~1980年代前半は、ルーツレゲエが流行っていました。
アフリカ回帰などのメッセージ性が非常に強いレゲエです。
その時代から、次にダンスホールレゲエというものが生まれ、はやっていきます。
ダンスホールレゲエとは、
元々現場で流れているリディムに、即興で言葉を乗せて歌う所からはじまったといわれています。
そのサウンドシステムでの即興セッションの事を「Rub A Dub (ラバダブ)」といいます。
ラバダブの文化は今でもありますね。
日本の現場でもラバダブは良く目にします。
そしてラバダブは、一つのリディムに対して様々な人が
様々な曲を歌ったりします。
そんな一つのリディムに対していろんな曲を歌う文化が主流になっていきます。
そして、その一つのリディムに対して様々な歌を歌ったアルバムの事を
「ワン・ウェイ物」といいます。
当時そのワンウェイ物をリリースしたダンスホールクラシックレゲエの
超重要人物といえば、「Yellowman(イエローマン)」です。
ダンスホールレゲエ初期に彼は
『Zungguzungguguzungguzeng』(1983年)といった超Big Tune をリリースしています。
その他でも、シンガーのグレゴリー・アイザックス (Gregory Anthony Isaacs)
シュガー・マイノット(Sugar Minott),ジョンニー・オズボーン(Johnny Osbourne) 等が
徐々にダンスホール・レゲエへ移行していきました。
コンピューターライズド
ダンスホールレゲエはその後、
生音からコンピューターの音に変わっていきました。
1985年では、キング・ジャミープロデュースによる
ウェイン・スミスの「アンダ・ミ・スレン・テン」(Under Me Sleng Teng)は、
レゲエ界に旋風を巻き起こした超超超Big Riddimです。
この曲は、カシオトーンを使用して作られたシンプルなデジタルTuneです。
俗に「スレン・テン」と名付けられ、キング・ジャミーで人気を急上昇させていきました。
このヒットを境に、キング・ジャミーはデジタルサウンドに早期から取り組んでいた
「スティーリー&クリーヴィー」を起用してヒット作を連発。
他にも、スライ&ロビーを率いて「パワー・ハウス」レーベルを立ち上げて、
独特のサウンドを確立していった。
この時代では、この上記両者の時代が続くことになる。
一方では、リー・ペリー、キング・タビーの1970年代から活躍する
エンジニア達もこぞってデジタル化した作品をリリースしていきます。
ダンスホールは完全デジタル化し、
これを「コンピュータライズド・レボリューション」と言われています。
スレンテンに負けじと
キング・タビーは「テンポ」、
ウィンストン・ライリーは「スタラグ」というリディムを。
どんどんいろんなリディムが生まれ、
様々なDeejayによって言霊を乗せられるのです。
最後に
ダウンホール初期のダンスホール・クラシックレゲエ。
リディムが山ほどリリースされています。
まぁダンスホール初期に限った話ではありませんが。
現代のブランニュー・ダンスホールとはまた違った80年代のダンスホールレゲエ。
今でも使われているリディムとかもあります。
ダンスホールレゲエを語るには通らざる終えないところです。
是非この時代のダンスホールレゲエも聞いてみて下さい。