キング・オブ・ダンスホール「BEENIE MAN」。
小さいころから活動を始めステージに立っていた彼。
ダンスホールレゲエのアーティストとして世界的に活動をしています。
今回はそんな彼にフィーチャーしていきたいと思います。
ビーニ・マン(BEENIE MAN)とは
ビーニ・マンとは、93年あたりから10年以上もの人気を保っている。
パトワ語では「小さい人」を意味します。
ニックネームは、「Doctor(ドクター)」や「King of Dancehall」です。
ダンスホールレゲエの初期から今まで全盛期すべてのダンスホールの中で活動してきました。
歴史
ビーニ・マンこと本名:アンソニー・モーゼス・デービス(Anthony Moses Dvis)は、ジャマイカの
キングストン、ウォーターハウス地区で生まれました。
5歳の頃に、音楽業界にいた叔父(Sydney Knowles)の薦めからディージェイを開始することになります。
Sydney Knowlesはジミー・クリフのパーカッション担当だった。
叔父がツアー帰ってくると、大御所のプロデューサーやシンガー達も一緒に家に来ていたため、
そこから音楽がビーニ・マンのところへ運ばれてきていました。
それらが、音楽を始めたいと思ったきっかけでした。
7歳の時には、テイスティー社主催のタレントコンテストで優勝を果たしています。
10歳では、バニー・リーのプロデュースから初のアルバムをリリースしている。
その後、10年の時を経て1993年頃、バウンティ・キラーとのクラッシュをきっかけに注目を浴びることとなります。
そのクラッシュのためにレコーディングした曲がパトリック・ロバーツのレーベル「ショッキング・ヴァイブス」を中心に
次々とヒットしました。
翌1994年には、年間最優秀男性DeeJay賞を受賞しています。そして同時期にラスタ改宗。
2000年にはメジャー初アルバムとなる「Art and Life」は第43回グラミー賞において最優秀レゲエ・アルバム賞を獲得。
続々と賞を受賞しています。
2007年にはなんと横浜レゲエ際に出演したりと、来日もしばしば。
2006年8月ではジャマイカ人女性アーティスト、ディ・エンジェルと結婚をして一児をもうける。
しかし2007年には離婚。