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マイキー・ドレッド(Mikey Dread)とは|レゲエ・アーティスト

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マイキー・ドレッド(Mikey Dread)とは、

ジャマイカのレゲエ・アーティストです。

プロデューサーやDJとしても活動していました。

今回はそんな彼にフィーチャーしていきたいと思います。

 

 

 

 

 

マイキー・ドレッド(Mikey Dread)とは

彼はジャマイカから輩出された

個性派レゲエ・アーティストです。

 

そして、ジャマイカで初となる

レゲエだけを流すラジオ番組

『ドレッド・アット・ザ・コントロールズ』

運営しDJとして活動も行なっていました。

 

 

 

 

 

歴史

1954年にジャマイカで生まれました。

1976年に大学を卒業後、

ジャマイカの放送局JBC(ジャマイカ放送協会)に

就職をします。

そこで彼は、レゲエ番組を放送し始めました。

 

ディレイやリバーブを

かけまくる趣向のラジオは、

当時のジャマイカに大当たりを果たします。

しかし、番組は2年を持って打ち切ります。

 

その後はアーティスト、プロデューサーとして

1979年からデビューします。

 

ラジオ番組と同名のレーベルで、

シュガー・マイノット

ジュニア・マーヴィン等一流の

アーティスト等をプロデュースしました。

 

そして彼のアルバム

「ドレド・アット・ザ・コントロールズ」

「エヴォリューショナリィ・ロッカーズ」

レゲエファンから高く評価をされました。

 

その後彼の音楽は

イギリスのパンク・ロックバンド

「ザ・クラッシュ」から注目をされ、

彼等をプロデュースすることになります。

 

そこで「パンクロバー」をプロデュースしたり、

1980年のアルバム「サンディニスタ」

数曲のボーカルを担当したりします。

 

そこからツアーでイギリス、

ヨーロッパ、アメリカを巡って

新たなファンを獲得していきます。

 

その後1982年、

UB40のヒット・シングル

「Red Red Wine」「Cherry Oh Baby」

ダブを手がけたりします。

 

世界各地の放送局からのオファーに応えたり

多忙な活動が続きます。

 

世界をまたにかけツアーなど

活動をコンスタントに行なっていきます。

 

そしてのちに、

今までのレコード会社との

不公平な取引に嫌気がさしていた彼は、

契約が満期、切れるまで長いこと待ち続け

自分のDread At The Controlsレーベルから

全て自分の曲は再販売を行いました。

 

そして2008年、家族に見守られながら息を引き取ります。

 

 

 

 

 

最後に

リー・スクラッチ・ペリーの次を担う

とまで言われたマイキー・ドレッド。

そんな彼の繊細な仕事により、

ダブ、名盤をこの世に残しています。

 

ぜひ彼の多くの曲をチェックしてみてください。

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