レゲエ好きの人なら一回でも
「ラスタ」「ラスタファリ」など聞いたことがあるのではないでしょうか。
でもラスタって実際何のことか知らない人は少なくないはず。
ラスタカラーの赤、黄、緑の事を差してるの?と思っている人もいると思います。
なので今回はレゲエ、ジャマイカと密接に関係のあるラスタファリズムについてお話しします。
ラスタファリ、ラスタファリズムとは何?
ラスタファリ、ラスタファリズムとは俗に言う「ラスタ」といわれる物です。
そしてそのラスタファリとは、ラスタファリ運動と言われるもので、
1930年代にジャマイカの労働者階級と農民を中心にして発生した思想運動になります。
アフリカから奴隷として連れ込まれた者たちが、アフリカ回帰を訴える団体です。
自由、開放というメッセージ性が強い運動となります。
ラスタファリ運動は、教典とするのは旧約聖書で宗教的な運動ではありますが、
厳密に言うと宗教ではありません。
宗教というのは、
人間の力や自然の力、現実的な力を超えた存在を中心としている観念です。
しかしラスタファリ運動は、現実に存在する人物を
ユダヤ教やキリスト教、イスラム教の唯一神と同じ神「ジャー(jah)」と称し、
アフリカ回帰、自由、開放を求めた思想的運動になります。
そのため、厳密には宗教というよりは思想運動と言われます。
ラスタファリ運動の歴史
ラスタファリ運動が始まったのは1930年頃。
ジャマイカ生まれのマーカス・ガーベイはアメリカ合衆国にわたり、
「パン・アフリカ主義」を提唱しました。
それは、全世界に散らばったアフリカ系住民の開放及び連帯を訴えた思想である。
それは、黒人に対してアフリカに帰ることを奨励したのである。
そのためマーカス・ガーベイは、アメリカのみならずカリブや南アメリカなどの
多くの黒人の支持を得ていました。
そんな黒人のカリスママーカス・ガーベイは、1927年に
「アフリカを見よ。黒人の王が戴冠する時、解放の日は近い」という予言をしたのです。
そしてそれが3年後に実現しました。これをきっかけにラスタファリ運動が出現します。
1930年、ハイレ・セラシエ1世(本名ラス・タファリ・マコンネン)がエチオピアの皇帝に即位します。
ガーベイ信奉者達は予言が的中したことによって、ハイレ・セラシエ1世を「救世主=キリストの再臨」、
「メシア」として崇めるようになり、そこからラスタファリ運動が始まったのです。
※ジャマイカ人の多くはキリスト教です。
ラスタファリアンの語源は
上記に記されているハイレ・セラシエ皇帝の即位前の名前からきています。
エチオピアの言葉では、ラスは「頭」「王子」「司令官」
タファリは「恐れられるべき」という意味がある。
そして「ジャー・ラスタファーライ」の「ジャー(jah)」というのは、
聖書の神「ヤハウェ(ヤハヴェ、エホバ、ジャホービア)」の短縮形で唯一神を指します。
その後、政府が運動の危険性を感じ弾圧を始めるが、
ラスタファリアン達は山の奥地に逃げ込み、コミューンを展開。
そこでドレッドロックスや儀式などラスタファリズムの基本スタイルを確立したのです。
ラスタファリとレゲエの繋がりは?
ラスタファリ運動は、1966年にハイレ・セラシエ1世がジャマイカに来訪してから
社会に積極的に参加するようになっていきました。
音楽のシーンでは、当時ジャマイカでは「スカ」「ロックステディ」が流行っていました。
しかし、ハイレ・セラシエ来を契機にラスタの思想やメッセージを伝える手段としての
音楽を使うようになったことで「レゲエ」が生まれたのです。
なので、レゲエはラスタファリ運動無くしては生まれなかった音楽ジャンルなのです。
そして当時スター的な存在であったボブ・マーリーも、
ジョー・ヒッグスからラスタファリ思想の教えを受けていた事から
ラスタのメッセージを乗せた音楽を全世界に発信していきます。
それにより世界的にもラスタファリ運動が広がっていったのです。
そうした「レゲエ」と「ラスタファリ運動」の密接なつながりがある事から、
レゲエ好きは「ラスタ」といった言葉をよく耳にするのです。
最後に
ラスタファリとは?レゲエとはどんな繋がりが?
といったところに視野を置いて今回記事にしましたが、
理解していただけましたでしょうか。
かなりざっくり簡単に書いてるので、
「いやいやもっと詳しく知りたいんだけど」って思う方は
ラスタファリ運動について自身で調べてみて下さい。
たくさんの情報が出てくるはずです。
あと書籍にもあるので、それを読めば間違いないでしょう。
ということで、レゲエとラスタ。
今では簡単に意味も知らずに「ラスタラスタ」
って言ってますが実はかなり深~い歴史があるのです。
こうやって意味を調べていくともっとレゲエが面白くなりますよ。