レゲエの先駆けの音楽ジャンル、
ロックステディといえばAlton Ellis(アルトン・エリス)ですよね!
そんなロックステディを確立した一人のアルトンエリスについて
今回はフィーチャーしていきたいと思います。
Alton Ellis(アルトン・エリス)とは?
アルトン・エリスとは、冒頭でも挙げましたが
ロックステディを確立した音楽家の一人として知られています。
「ゴッドファーザー・オブ・ロックステディ」や「ミスター・ソウル・オブ・ジャマイカ」
なんて異名を持ち合わせている有名人です。
やはりロックステディといったらアルトン・エリスと言う人も多い程。
レゲエへの影響も強く、多くの素晴らしい曲を残した。
歴史
1938年に西キングストンで、音楽一家で生まれた。
1955年、学校を卒業したのち、ダンサーとして活動しており、
コンテストに2回ほど優勝した過去もある。
が、そこから彼は歌手へ転向することに。
1957年に当時友人だった「Eddie Perkins(エディ・パーキンス)」と
アルトン&エディというコンビを結成した。
1957年から1960年にかけて、コクソン・ドッド(後のスタジオ・ワン)などのレーベルで
R&Bの曲を数曲録音したりして活動をしていた。
1959年では超胸に響くようなラブソング「Murial」をコクソン・ドッドの元で録音し、
自身のレーベル「Worldisc」からリリース。
これが彼らのデビュー作であり、ジャマイカとイギリスで超大ヒットをした曲である。
そのあとも「My Heaven」をつづけてリリース。
他にもリリースを続けていくが、国際的大ヒットした「Murial」のギャランティーの低さに
アルトン・エリスは失望し、一時期音楽の活動を離れる。
一方で、エディ・パーキンスはタレント活動のためにアメリカへ飛び立ち
長期滞在をしていたため、アルトン&エディというコンビは自然消滅することになった。
音楽活動を離れたエリスだが、やはり夢を諦めることができずに
また音楽活動をトレジャー・アイル(Treasure Isle)で再開することになる。
1966年、ロックステディが流行りはじめ、
アルトン・エリスはこのロックステディ黄金時代で
このジャンルのトップとして活動することになる。
その後トレジャー・アイルのライバル「スタジオ・ワン」を運営する
コクソン・ドッドから目を付けられ、好条件で再契約の申し入れを受けることになる。
それを承諾し、エリスはスタジオ・ワンで活躍をすることになった。
しかし、また金銭面でコクソン・ドッドと揉めたエリスは、腹いせに
またトレジャー・アイルからアルバムをリリース。
そのせいでドッドから契約不履行として訴訟されるも、
エリスはアメリカに逃亡。しばらくして戻ってきたら訴訟も取り下げられており、ドッドと和解。
それによりエリスはスタジオ・ワン、トレジャー・アイルの2大レーベルから
作品を発表できる数少ないアーテストの一員となっていました。
そして活動をつづけるも、2008年にがんのため死去しました。
最後に
アンチルーボイの愛を歌っていたエリス。
ロックステディといったらあの甘い声が浮かんできます。
まさに彼が一番のLOVE & PEACE だったのかもしれません。
最後まで謙虚なままで決して威張るような人ではなかったそう。
そんな彼のLock Steady をみなさんも是非チェックしてください。