スカ時代に有名な「ザ・スカタライツ」に所属していた
キーボード・プレイヤーである「ジャッキー・ミットゥ」。
小さいころからピアノを始めていた彼のキーボード裁きは素晴らしい。
そして、レコード・プロデューサーとしても活動を行っていた。
今回はそんな彼にフィーチャーしていきたいと思います。
ジャッキー・ミットゥ(Jackie Mitto)とは
冒頭でもお話した通り、キーボード・プレイヤーでもあり
レコード・プロデューサーでもあるジャッキー・ミットゥ。
ザ・スカタライツ解散後もコクソン・ドッドのスタジオで働いていました。
その一方キーボード・プレイは非常に味わい深い物であります。
ジャマイカで活動したあとは、カナダに移住をし、
移住後もコンスタントにアルバムをリリースしていました。
歴史
1948年、セント・アン教区の内陸の町ブラウンズ・タウンで生まれました。
名前は「ドナード・ロイ・ジャッキー・ミットゥー」。
なんと3歳の頃には、クラシック・ピアノを教わりはじめ、
10歳の時には彼自身初のバンドを結成して音楽活動を行っていきます。
13歳では、家族の移住でキングストンにやってきて、シークスというバンドに加入をします。
このバンドには、のちのザ・スカタライツ主力メンバー
「ロイド・ニブス(ドラム)」「レスター・スターリング(トランペット)」「ジョニー・ディジー・ムーア(トランペット)」
が在籍していました。
そんなシークスに所属をし、映画化やクラブでピアノ演奏を行っていきました。
高校生の時にはもうすでにセミプロ活動を行っています。
そんな彼に1963年、コクソン・ドッドはうちのスタジオで働かないかと声をかけます。
そこからミットゥーは、音楽家としての才能も発揮していくことになるのです。
そこで作曲、編曲、プレイヤーとして大活躍をし、
スタジオで集まった才能溢れる人たちで結成されたのが「ザ・スカタライツ」です。
そこにミットゥ-は、最年少のピアノ&オルガン奏者として参加をします。
そこからスカという音楽が誕生していきます。
2年後にスカタライツは解散してしまいますが、ミットゥは
スタジオ・ワンのハウス・バンド・ソウル・ブラザーズで
引き続きスタジオ・ワンで活動を行います。
その後、上記バンドはいろんな人の交替があったが、
ミットゥは唯一の不動メンバーとしていました。
ロックステディ時代も大活躍を果たし、
60年代終わりにはカナダへ拠点を移し、70年代以降は
カナダとジャマイカを行ったり来たりしながら活動をつづけていきます。
しかし、1990年12月、カナダのトロントで、癌の為、永眠。
40歳という若くしての死去でした。
最後に
彼の深いピアノ&オルガンの演奏をリアルで感じることはもうできませんが、
当時の曲はまだしっかりと残っています。
スカ、ロックステディのリーダー的な存在であるミットゥの
関わっている曲を、是非これからも聞いていきたいところですね。