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ディリンジャ―(Dillinger)とは│レゲエ・アーティスト

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ディリンジャ―(Dillinger)とは、

キングストンのダンスホール・サウンド・カルチャーを

世界へ発信したディージェイです。

ダンスホールから、ニュー・ルーツのトラックまで手がけました。

今回はそんな彼にフィーチャーしていきたいと思います。

 

 

 

 

 

ディリンジャ―(Dillinger)とは

ジャマイカのディージェイです。

ミリタント・ビートステッパー・スタイルのトラックで

歌った作品なんかもあります。

2001年にはニュー・ルーツの「Youthman Veteran」なんかもリリース。

ダンスホールから様々手掛けて活動を行っています。

 

 

 

 

 

歴史

彼は1953年に本名:レスター・ボロックとして

ジャマイカのキングストンで生まれました。

 

若いころ、デニス・アルカポーンに憧れ、

デニス・アルカポーンのエル・パソサウンドの下で経験を積んでいました。

1971年にエル・パソサウンドシステムのディージェイとして活動を行います。

1972年には、リー・ペリーの下でレコーディングを始めました。

当時、彼は「デニス・アルカポーン・ジュニア」として名乗っていましたが、

リー・ぺリーから「お前はディリンジャ―だ」と命名されてこの名前に変わります。

1974年では、ヤビー・ユーの下で「Freshly」をリリースし、

彼の初ヒットとなりました。

 

その後、スタジオ・ワンを経てスタジオ・ワンに拠点を移し活動を行います。

様々な曲をリリースし、ヒットしていきます。

1975年に、

オーガスタス・パブロの下で「Brace a Boy」

フーキムの下で「CB200」

ウィンストン・ホルネスの下で「Flat Foot Hustling」

コクソン・ドッドの下で「Killer Man Jaro」などなど。

 

1976年~1982年までの絶頂期では、アルバムのリリースも数多くしています。

それだけ人気だったのがわかりますね。

 

フーキムの下でリリースした「Cocaine in My Brain」

国際的にヒットし、その中でもオランダで1番ヒットしました。

 

バニーリーの下でリリースした「Non Stop Disco Style」のような攻撃的な

ミリタント・ビートの曲も人気でした。

 

1978年では、ロック歌手のThe Clashの歌の歌詞にも出てくる程

レゲエだけでなく名が知れていたことがわかります。

(デルロイ・ウィルソン等のアーティストも歌詞に出てきていました。)

 

1987年頃からは、ダンスホール・レゲエでの活動が行われます。

スティーリー&クリーヴィからの「Nyam Him Out」

人気のリディム「Magnum」に乗っけた「Western Kingston」

そして、ジャマイカ中でヘヴィ・プレイされたビッグ・チューン「Ninja 600」等々

再ブレイクしました。

 

そして2001年にUkのジャー・ウォリアーから

ニュールーツな「Youthman Veteran」がリリースされます。

2014年には、イエローマンと国際ツアーも行っています。

 

ちょこちょこ活動を行っているようです。

 

 

最後に

ルーツからダンスホール、そしてニュールーツ。

さらにはステッパー・スタイル。

多方面から活躍を見せたヴェテランDeejay。

是非過去のトラックをあさって聞いてみて欲しい。

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