アーティスト - ルーツ・レゲエ

ヒュー・マンデル(Hugh Mundell)とは│レゲエ・アーティスト

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才能あふれるルーツ・レゲエ・シンガーのヒュー・マンデル。

若くして亡くなってしまっており、非常に残念です。

今回はそんな彼にフィーチャーしていきたいと思います。

 

 

 

 

 

ヒュー・マンデル(Hugh Mundell)とは

ルーツ・レゲエ・シンガーの期待の星ヒュー・マンデル。

彼はオーガスタス・パブロとの出会いで人生が変わりました。

彼はパブロと出会って、パブロの下で本格的に録音を開始しました。

そこから彼は欧米も含めルーツ界の期待の少年シンガーとして注目を集め始めたのです。

 

 

 

 

 

歴史

ヒュー・マンデルは、1962年にキングストンで生まれました。

彼の父は有名な弁護士だったそう。

そんな彼は母の影響で音楽を好きになっていきました。

 

家族の知り合いだった「ポリス・ガーディナー」

レゲエのプロデューサーをしている事もあり、

そこからレゲエを紹介され、1975年に初録音を行った。

 

その後、ジョー・ギブスのスタジオに行くことがあり、

その時にダブの巨匠「オーガスタス・パブロ」に出会います。

そこからパブロの下で音楽活動を行っていくようになります。

 

パブロのロッカーズ・プロダクションから

「Don't Stay Away Too Long」「My Mind」

「Africa Must Be Free」等をリリースし、注目を集めるようになります。

 

これらの最初期のロッカーズからの録音は

1978年に「Africa Must Be Free By 1983」として発売され、

欧米からもルーツ界の期待の少年シンガーだと注目を集めます。

 

その後もパブロの下で活動を行っており、

時には「ジャー・リーヴィー」という名でDeejayも行っていた。

1979年には、自身のプロダクションにて制作も始めています。

 

ロッカーズからリリースした

ジュニア・リードの最初のシングル「Speak The Truth」

マンデルが制作したそう。

 

80年代では、自身の制作曲「Can't Pop No Style」が12インチでリリースされました。

 

そんな矢先、1983年マンデルは21歳の若さでガンマンに殺されてしまいました。

当時18歳だったジュニア・リードはその模様を車の中から見ていたそうです。

 

 

 

 

 

最後に

ジャマイカ国内ではルーツ界のみでしか彼の名前がささやかれなかったが、

ヨーロッパにおいては、ヒュー・マンデルは一大勢力として知られています。

「Africa Must Be Free By 1983」は、ヨーロッパではたくさんの方から聴かれている

ルーツ・レゲエ・アルバムの一つです。

ロッカーズ・プロダクションからリリースされた

マンデルの諸作は、レゲエ史に残るルーツ・レゲエの傑作である。

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