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ジャー・ライオン(Jah Lion)│レゲエ・アーティスト

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ジャー・ライオン(Jah Lion)は、ジャマイカのレゲエアーティストです。

Deejayとして活動をしており、プロデューサーでもありました。

今回はそんな彼にフィーチャーしていきたいと思います。

 

 

 

 

 

ジャー・ライオン(Jah Lion)とは

ジャー・ライオン(Jah Lion)または別名ジャー・ロイド(Jah Lloyd)

という名で活動を行っていました。

ブラック・アークを代表するDeejayです。

 

名盤は1976年の「Colombia Colly」です。

 

 

 

 

 

 

歴史

1947年8月29日、彼はジャマイカの中央部にあるセント・キャサリン教区、

ポイント・ヒルで生まれました。

本名はパトリック・ロイド・フランシスです。

 

12歳で学校をやめて、キングストンのトレンチタウンに移住します。

そして1960年代半ばにザ・メデエーターズの歌手としてキャリアを開始。

20歳になる頃にはシンガーとしてレコーディングの経験を積みます。

 

1966年にはスタジオ・ワンで「What An Agony」を録音。

1969年には、メディエーターズのメンバーとして、

後のマイティ・ダイアモンズ(Mighty Diamonds)のメンバーとなる

フィッツロイ”バニー”シンプソン(Fitzroy 'Bunny' Simpson)

「Darling Here I Stand」を録音しました。

 

Deejayとして目覚めたのは、

ビッグ・ユースに影響されてからだと言われている。

 

1970年代に入り、自らのレーベル「ティーム」を設立し

プロデュース業も開始します。

その自身のレーベルからJah Lloyd名義のDeejay物を次々とリリースしていきます。

この活動をきっかけに、リー・ペリーの目に止まりました。

そこでかの名盤「Colombia Colly」がリリースされます。

この名盤に対してはJah Lion名義でリリースがされています。

この時、リー・ペリーのディージェイ名がJah Lionなのかと

みんなから勘違いをされたそう。

 

その後1970年代後半から80年代初めに

イギリスのヴァージン(Virgin)傘下にあった「フロント・ライン(Front Line)」

「ヒズ・マジェスティ」といったレーベルから続々とアルバムをリリースしています。

今となっては入手困難なのが残念です。

 

ダブアルバムもいくつかあって、それらの評価も高いです。

1979年の「Goldmine Dub」も評価が高い物でした。

ディージェイとしても楽曲制作スキルも高いスキルを持ち合わせており、

全体的に評価の高い人物でした。

 

しかし、1999年6月2日に、キングストンで銃弾が彼を襲いこの世を去りました。

 

 

 

 

 

最後に

全体的にスキルの高い人物で、

かの有名なレーベル、ブラック・アークでの

ディージェイ代表的な作品を残しているビッグ・アーティストです。

一度でも彼のアルバムは耳を通しておくとよいでしょう。

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