彼は、ディージェイでもあり
プロデューサーでもあります。
そしてかなりの変わり者だったそう。
I・ロイのパクリだなんていうことも
言われていたそう。
今回はそんな彼にフィーチャーしていきたいと思います。
プリンス・ジャズボ(Prince Jazzbo)とは
プリンス・ジャズボは1970年代から
活動を行なっている
レゲエ・ディージェイです。
1951年にジャマイカのクラレンドンで
リンバル・カーターとして生まれました。
彼は小さい頃から
クラレンドンのサウンド・システムに
ハマり音に触れていた。
というのも、彼の叔父が
ブリスコ・ハイ・ファイを
所有していたそう。
そして、スパニッシュタウンの
サウンドシステムでキャリアをスタートさせます。
1970年にスパニッシュタウンのダンスで
ジャズボの見たコクソン・ドッドが
彼のパフォーマンスに惹かれ
スタジオ・ワンに招いた。
それによって彼は、
スタジオ・ワンでレコーディングを開始しました。
そこから2,3年程通うことになるが、
数曲しかリリースされることがなかった。
その後はローカルなレーベルで活動を行うようになります。
と思ったら今度は、
1970年代中期に I・ロイとビーフ状態に。
そんな中で彼は
リー・ペリーの基で
アルバム「Natty Passing Thru'」をリリース。
翌年では
自身でウジャマ・レーベルを設立し、
ジョニー・クールという名で
シンガーやプロデューサーとして活動をします。
そこで何曲かリリースをします。
自身のレーベルでは、
多くの若い人材を求め
プロデュースを始めます。
1970年から1980年へ移っていくにあたり
音がデジタル音源に変わっていく時代です。
そこでこのレーベルでは、
ラスタ・マンにより作られた
コンピューターを使ったリズムが
主流になり、この新しい音作りが
先進的で多くの人たちから受けた。
そして、ライバルでもあり
罵られた歌をリリースされた
I・ロイもウジャマ・レーベルから
曲をりりーすしました。
彼らの仲違いはレゲエ史の中でも
かなり有名な話なので
これには驚いた方もいるのでは。
他にも若手だったコブラや
パパ・サンなどをフィーチャーして
ウジャマでレコーディングをしました。
ウジャマは何も隠さないありのままの
リアルを伝える曲ばかりのレーベルだったため、
皆からも人気がありました。
1990年に、突然約20年も前の
曲たちが集められたアルバムがリリースされた。
その中身はルーツなトラックに
彼のトースティングがはまっており、
聞き応えのあるものであった。
最後に
彼は始めの頃はあまり曲もヒットせず、
リリース曲も少なかった。
さらにはI・ロイとの喧嘩。笑
なかなか批判というか人気がうまいこと
伸びなかった彼ではあるが、
プロデュース業は非常に中身の濃いもので、
自身のウジャマレーベルの評価は高かった。
そんな彼の曲と、ウジャマレーベルから
リリースされた曲をチェックして見て欲しい。