透き通った高い声が特徴のルーツ系レゲエ・シングジェイです。
アーリー・ダンスホールの頃大活躍をしていました。
幼いころから音楽のキャリアを積んでいます。
今回はそんな彼にフィーチャーしていきたいと思います。
トリスタン・パーマ(Triston Palmer)とは
アーリー・ダンスホール時代に大活躍をし、大物プロデューサーの下で数々のヒット曲を世に送り出しました。
中でも非常に有名な曲としては、「Joker Smoker」です。
この曲はかなり有名で、どこかで聴いたことがあるのではないでしょうか。
そして彼一番の大ヒットを記録したアルバムは、ジャー・トーマスにプロデュースされた「Enterainment」です。
このアルバムの中に先程の「Joker Smoker」が入っています。
地を這うような土臭いオケに彼の高い声が非常によく映えます。
是非聞いてみて下さい。
歴史
トリスタン・パーマは1962年にジャマイカのキングストンで生まれました。
彼は、ソウル・シンジケートのトニー・チン、シュガー・マイノット、トニー・タフ等のすでに音楽業界で人気だったアーティスト達から歌う事を学んでいきます。
それもあり、幼いころから歌手になることを決意。
始めはソウル・シンジケートのギター、トニーチンの伴奏に合わせて歌う事から始まったそう。
そんな彼の最初のレコーディングは8歳の時、バニー・リーの下でリリースした「Love Is A Message」です。
10代では友人のオジー・トーマスと自身のレーベル、ブラック・ソリダリティを設立し、より本格的に音楽活動を行っていきます。
1979年に、上でも紹介した彼最大のヒットアルバム「Entertainment」をジャー・トーマスの下で制作、リリースしました。
その後は、シュガー・マイノットの立ち上げたユース・プロモーションに参加。
1980年代初頭では、彼はシングジェイとして人気を博していきます。
Jah Thomasの下で「Water Bubbling」「Spliff Tail」「Raving」「Touch Me, Take Me」「Run Around Woman」等々続々リリースしていきました。
1980年代半ばでは、チャリティープロジェクト”Music is Life”にフレディ・マクレガー、ムタパルカ、グレゴリー・アイザックス、サード・ワールド、エディ・フィッツロイ、スティールパルス等と共に参加します。
そこでチャリティーのシングル「Land of Africa」をリリースします。
彼の人気は1980年代も通して続き、1990年代にはビーニマンとデニス・ブラウンとのコンピ「Three Against The War」をリリースします。
今では彼自身プロデューサーとして活動をしており、スタジオで音楽の活動を行っています。
最後に
彼は1985年程まで結構な作品をリリースしてきましたが、その後リリース量が減ります。
その理由が狂乱、享楽的なダンスホール・シーンが合わなかったのか、プロデュース業に専念していたからなのかはわかりませんが。
そのため、アーリー・ダンスホールのアーティストという印象が強い人が多いかと思います。
ルーツの終わりころからダンスホールに移行していく最中大活躍をしたシンガー兼シングジェイの彼の透き通るボイスを是非チェックしてみて下さい。