有名レゲエアーティスト「シュガー・マイノット(Sugar Minott)」。
初期レゲエからスタジオワンで活躍し、80年代ではしっかりと
ダンスホール・レゲエに力を入れて行った大御所である。
今回はそんな大御所にフィーチャーしていこうと思います。
シュガー・マイノット(Sugar Minott)とは?
シュガー・マイノットは、ジャマイカ・キングストン生まれの出身の歌手、
音楽プロデューサー、サウンドシステム運営者です。
ルーツのレゲエ初期から活動をしており、
ダンスホール・レゲエに移り変わっていっても
臨機応変にダンスホール・レゲエの波に乗って活動をしていました。
そんなことから、「ダンスホール・レゲエ大将」と
80年代初期~半ばにかけて多くの人が尊敬の意味も込めてそう呼んでいました。
残念ながら享年54歳、キングストンの病院で亡くなりました。
しかし今でも世界中で彼の音楽は流れ続けています。
歴史
初めは、セレクターとして活動を始めました。
そこから、1968年
デリックエリック・バブルスハワード(Derek Eric Bubbles Howard)と
ウィンストントニー・タフモリス(Winston'Tony Tuff Morris)と一緒に
アフリカン・ブラザーズ(African Brothers)のメンバーとして歌手活動を始めます。
70年代半ば図着からソロ活動に転じ、
ラスタファリ運動の影響を受けた音楽制作等も行っていました。
1970年になると、スタジオ・ワン(Studio One)から
「Vanity」や「MrDC」等の有名アルバムをリリースしています。
シュガー・マイノットはディージェイのようにリディムを使いまわすようなアプローチを取りました。
そんなアプローチをしたシンガーはシュガー・マイノットが初めてです。
そのリディムを再利用で「Vanity」はアルトン・エリス「I'm Just Shakey」のリディム、
「Hang On Natty」はヘプトーンズ「Get In Groove」のリディム、
「Mr.DC」はテナーズの「Pressure and Slide」のリディム、
「Jah Jah Children」はローランド・アルフォンソ「Jah Shkey」のリディム
等々様々な曲をリリースしています。
また、自身のレーベル「ブラック・ルーツ(Black Roots)」を設立しています。
個人的には、ルーツ色の強い「Ghetto-ology」という有名な曲が印象にあります。
他にも、ユース・プロモーション(Youth Promotion)では若手の育成に力を入れていました。
最後に
レゲエ初期から活動し、ダンスホール・レゲエでも活動。
イギリスでもヒットして有名になっています。
他にも若手の育成にも力を入れるようなBig manです。
古いシュガー・マイノットの曲から
新しい物まで通して聞くと、曲調の違いがわかって面白いと思います。
是非チェックしてみて下さい。