リコ・ロドリゲスは、初期ジャマイカ音楽における、
偉大なるスカの最高のトロンボーニストの一人です。
そして彼は、古くからのラスタでした。
今回はそんな彼にフィーチャーしていきたいと思います。
リコ・ロドリゲス(Rico Rodriguez)とは
リコ・ロドリゲスとは、
冒頭でもトロンボーニストです。
リコはラスタマンであり、ワレイカ・ヒルにて
自分たちが何者で、何をしていかなければならないか、音楽を通してインスパイアを受けていた。
ジャマイカで育ったが、途中から渡英しUKにてバンド活動を行っていた。
歴史
かれは、1934年にキューバのハバナで生まれ、
幼いころに家族とジャマイカに移り住みました。
キングストンのスラムで少年時代を過ごし、
ゲットーの貧しく家庭的に問題を抱えた少年たちを
更生、教育の元で立ち上げられた教会
「アルファ・ボーイズ・スクール」に行っていた。
彼はそこで、同じクラスの2つ上の先輩
「ドン・ドラモンド」からの影響を大にしていた。
ドン・ドラモンドは、リコにとっては先生みたいな存在だったようで、
16歳くらいからドンに誘われてワレイカ・ヒルに行ってセッションを繰り返していました。
ちなみにスカタライツのメンバーの多くは、このコミューンに集まっていた人から構成されていた。
リコは、1961年に単身で渡英する。
それは、学校卒業後、コミューンに集っていた仲間たち同様に
プロの演奏家として活動を開始した。
しかし、観光客を相手にお金の為演奏をするミュージシャン活動を行っている他の人もおり、
リコはお金ではなくハートで演奏をしていきたいと思っていたため、
違う道を歩もうと決意をしたために渡英したそう。
と、いうのも
資本家がアーティスト達の才能を搾取する
ジャマイカの音楽産業システムがあった。
それは音楽家の地位が低く、リスペクトされないかつ資本家が儲ける。
最悪のシステムだったのだ。
なので早めに見切りをつけたとのこと。
であるからに彼は、スカタライツには所属していない。
渡英するも厳しいい状況。
彼はなかなかオリジナルな楽曲制作をする機会に恵まれず。
その間彼が楽しみにしていたのは、クラブでの演奏活動だった。
そこで彼は、ジャマイカ、ワレイカ・ヒルで培ってきたメロディーをレクチャーしていた。
そんな彼にもようやくオリジナルミュージックのレコーディングの機会が舞い込んだ。
そのレコーディングの機会を与えたのは、
ボブ・マーリー等のジャマイカの楽曲を積極的に海外リリースしていた
「アイランド・レコード」だった。
そのアイランド・レコードのエンジニア、「ディック・カセル」との出会いがきっかけだった。
彼のサポートを受けて1976年に「Man From Wareika」をリリースする。
この作品は、長い間帰国しなかったジャマイカで行われており、
そのセッションには、70年代ルーツ・レゲエの創設者達がたくさん参加したそう。
70年代末からは英国にて、
ジャマイカの音楽をリスペクトする若者たちが結成した「ザ・スペシャルズ」の
正式メンバーとして活動をしました。
1982年には、「Man From Wareika」に匹敵するほどの傑作アルバム
「Jama Rico」をリリースしています。
スペシャルズが解散した後も、
ワレイカ・ヒルの音楽を後世に伝えていくため
複数のバンドや、様々なあセッションに積極的に参加をしていた。
さらには、ジュールズ・ホランドのバンドレギュラーとしても活動を行っていた。
こうしてリコは、ジャマイカで古くからインスパイアを受けていた
ワレイカ・ヒルのミュージックカルチャーを世界に発信、伝え続けていた。
2015年、残念ながらロンドンの病院で逝去。
最後に
昔から死ぬまで彼は彼の信じるミュージック・カルチャーを伝え続けた。
それは確かに重く深いミュージック。
そんな彼の音楽をこれからも多くのファンによって支持され続けるだろう。