バニーウェイラーとは、ラスタのレゲエアーティストです。
ボブ・マーリーとピーター・トッシュと結成し活躍した
ザ・ウェイラーズ(The Wailers)のオリジナルメンバーです。
ソロ活動でも活躍を見せたバニー・ウェイラー。
今回はそんな彼にフィーチャーしていきたいと思います。
バニー・ウェイラー(Bunny Wailer)とは?
バニー・ウェイラーとは、冒頭でもお話しましたが、
ザ・ウェイラーズ(The Wailers)のオリジナルメンバーとして活躍をしたアーティストです。
ボブ・マーリー、ピーター・トッシュ等とは同じトレンチタウンに住む友人でした。
始めはティーネイジャーズというユニットを結成し活躍していました。
最終的には、クリス・ブラックウェル率いる、アイランド・レコードと契約し、メジャーデビューを果たしますが、
ブラックウェルが、ザ・ウェイラーズを押し出すというより、ボブ・マーリー単体を押し出し売り込んでいきます。
それに猛反発したピーター・トッシュとバニー・ウェイラーはウェイラーズを脱退してしまいます。
ただウェイラーはソロのシンガーとして活動をします。
初のソロ・アルバムをリリースしたのがこちら。
よく聞くアルバムは「Protest」
歴史
1947年4月10日に、ネヴィル・オライリーリヴィングストンと言う名で生まれてきました。
始まりは、1960年代初期のトレンチタウン、スカ全盛期。
ボブの母とウェイラーの父が恋人同士だったために、
小さいころから兄弟のように仲の良かったボブ・マーリーとバニー・ウェイラーは、
ジョー・ヒッグスの紹介でピーター・トッシュと出会い、
ティーネイジャーズというユニットを結成し活躍。これは先程書いた内容と同じくです。
その後はザ・ウェイラーズに発展していきます。
1966年からトリオで活動し、その頃スタジオ・ワンに100曲以上の曲を吹き込んでいた。
3人の中で一番目立っていない、存在感の一番薄い彼だったが、
実は一番美しい声で、当時からは高く評価されており、
シンガーとしての才能が一番早く開花していた。
スタジオ・ワン時代の曲でいうと、
「Sunday Morning」「Dreamland」などの曲では既に
シンガーとしての才能が開花していた。
その後ウェイラーはラスタファリズムの精神の影響を受けていきます。
1972年にウェイラーズはアイランド・レコードと契約をし、
「Catch A Fire」と「Burnin」をリリースした後、解散します。
解散したあと、ウェイラーはジャマイカに残り
ソロモニック(Solomonic)という自身のレーベルを立ち上げて
シングルをリリースした後に、上記で紹介した「BlackHart man」を発表しました。
その次に「Protest」を発表します。
このアルバムは、Blackhart manに比べてラスタ職は薄れますが、
詞の内容は強いメッセージが残っています。
その後はダンスホールに移り変わっていきますが、
自身の自慢の声でのシンガースタイルは変わらず、
オケだけがダンスホールになっていく。
ダンスホールになっても柔軟に対応し、廃れることなくリリースは続きました。
1986年に制作された「Rule Dance hall」はその柔軟性の高さが評価されます。
ルーツ、ダンスホール、一部ファンクやラップ、それらを柔軟に取り入れ
順応する才能は3人の中でも一番優れていた事でしょう。
最後に
一番影の薄いと言われるウェイラーですが、
そんな彼も非常に優れていた点、3人の中でも抜けている才能はもちろんあったのです。
そして、3人の中で一番長く活躍している彼は、人々からも尊敬されています。
そんな彼のソロ活動でリリースした初期のアルバムからしっかり聞いてみると
きっと彼の凄さが今一度わかるかもしれませんね。