古くからのレゲエアーティスト、グレゴリーアイザックス。
映画ロッカーズでも出演されていた方です。
ラヴァーズからラスタな曲まで手掛けています。
今回はそんな彼にフィーチャーしていきたいと思います。
グレゴリー・アイザックス(Gregory Anthony Isaacs)とは
グレゴリーアイザックスは、クール・ルーラーという愛称がありました。
それは、フロントライン・レコーズと契約してリリースした「Cool Ruler」と言う曲からきています。
1970年代では、ボブマーリーや、デニス・ブラウンに次ぐ人気を
獲得していたほどの超人気アーティストです。
何曲ものビッグチューンを世に排出しています。
コカイン依存症でも有名です。長期にわたってコカイン依存していた彼は、
何度も逮捕されたうえ、歯はほとんど抜け落ち、キャリア後半は声質も変わってしまっていました。
歴史
1951年7月15日にキングストン、デナムタウン地区のゲットーで生まれました。
10代のころから音楽を志し、タレント・コンテストにはよく出場していたそう。
すると、プロデューサーのバイロン・リーらに見いだされ、
1968年にウィンストン・シンクレアとのデュエット曲、「Another Heartache」でレコードデビューを果たしました。
次に、ペンロー(Penroe)とブラムウェル(Bramwell)の3人でボーカルトリオ、コンコーズを結成。
しかし、あまり成果がでず1970年には解散してしまう。
その後はソロで活動を行っていきます。
1973年に、自身初のヒット曲「All I Have Is Love」をリリース。
これを機に、ミュージシャン仲間のエロル・ダンクリーとウェスト・キングストン地区に
「アフリカン・ミュージアム」というレコード店兼レーベルを設立しました。
この時期最大のヒット曲は、1974年にリリースした「Love Is Overdue」。
自身初のヒットチャート一位を獲得した曲です。
1970年後半には、アメリカ合衆国やイギリスにもツアーに行くことになった。
そして1978年に「Cool Ruler」と1979年に「Soon Forward」をリリース。
1978年には映画「ロッカーズ」に本人役で出演しました。
その後80年以降ダンスホールレゲエ時代、
彼も臨機応変に対応し活躍を続けました。
2010年10月25日、サウス・ロンドンの自宅で息を引き取ります。
最後に
自身のレーベルから曲を手掛け、スタジオ・ワンとかほかのところでは
曲を作らないという他の人にはない部分を持っていたグレゴリーアイザックス。
彼には彼の信念、軸があるので、きっと彼を思うように動かすことは誰にもできなかっただろう。