Buju Banton は、1990年代程から人気的に活動を行っているレゲエ・アーティストです。
日本公演も行ったことがあります。
野太いガラ声が特徴的な人気アーティストです。
今回はそんな彼にフィーチャーしていきたいと思います。
ブジュ・バントン(Buju Banton)とは
ブジュはブラウニン(白人と黒人と混血の女性)が一番好きだと宣言する
「Love Me Brownin」をリリースして91年に大ヒットをしています。
しかし、黒人の人口が約90%を占めるジャマイカ国内にて、
この曲に対する批判が勃発。笑
「過去の黒人解放思想の遺産はどこにいったんだか」と言ったような意見も。
それに対して「Love Black Woman」をリリースして黒人女性の子をもリスペクトをささげています。
途中からラスタ色が強い方向に転向しました。
それは、友人のガーネット・シルクがこの世を去った一件から、
ラスタへの思想が強くなったとも言われています。
歴史
1973年7月15日にジャマイカのキングストンのゲットー・エリア、ソルト・レーンで生まれました。
子供の頃は、デナムタウンのセカンダリー・スクールに通っていました。
少年期は、デナムタウンで開催されていた野外ダンスでダンスホールレゲエを聴いてきた。
そして12歳でスウィートラブ・サウンドシステムやランボー・マンゴーサウンドシステムで
マイクを握ってトースティングをはじめます。
1986年に、プロデューサーのロバート・フレンチに出会い、
彼の下でファースト・シングル「The Ruler」をリリースします。(発表は1987年)
1988年の15歳の時には、「Boom Bye Bye」を録音します。
この曲は、1993年に再レコーディングされて、ジャマイカで大ヒットします。
しかし、ホモフォビア的、暴力的であると批判を浴びてしまいます。
ブジュは結構批判を買うことが多いですね(笑)
1991年、ブジュはペントハウス・レコーズに所属し、デイブ・ケリーの下で多くのヒット曲をリリースしていきます。
1992年では、先ほど書きましたが、「Love Me Brownin」が大ヒットします。
同年では、デビューアルバム「Mr.Mention」をリリースします。
1993年にはマーキュリー・レコードからセカンドアルバム「Voice Of Jamaica」を発表しました。
年末に発表した「Murderer」は、暴力的な内容のダンスホール・レゲエの歌詞を批判した内容となっており、
この曲の歌詞に賛同したクラブやサウンドシステムでは、暴力的な歌詞の曲のプレイをや止めてる。
その曲に対する反応をした曲のひとつは、ケイプルトンの「Cold Blooded Murderer」です。
それだけ影響力の大きいアーティストとなっていました。
この頃から、コンシャスな詩の曲が増え始め、ラスタに傾倒してドレッドも伸ばし始めました。
そんな路線になっていくことが明確になったアルバムは「’Til Shiloh」です。
その後も、アルバムをリリースしていきます。
1997年「Inna Heights」、2000年「Unchained Spirits」、2003年「Friends For Life」。
これ等のアルバムの中で、ヒット曲がたくさんあります。
現在でも活発的に活動を行っています。
最後に
ダンスホール・レゲエの暴力的な詞が多い一方それを批判するような内容の詞で
曲をリリースする深い詞のアーティスト。
現代系ラスタアーティストの代表格ですね。
これからも活躍をウォッチしていきましょう。