ダンスホールのゴッドファザー。
レゲエ初期時代から常に第一線で活動を行っているジョニー・オズボーン。
何度も来日しています。
今回はそんな彼にフィーチャーしていきたいと思います。
ジョニー・オズボーン(Johnny Osbourne)とは?
ジョニー・オズボーンは、ダンスホール・シンガーのイメージが強いアーティストです。
ダンスホール時代に最もニーズがあった人として知られております。
といっても、活動はレゲエ初期時代の頃からなので、ルーツレゲエも歌っていた時があります。
それはスタジオ・ワンから1980年にリリースしたアルバム「Truths And Rights」です。
同時期にリリースされた、ジャミーズからの「Folly Ranking」や「Fally Lover」などのアルバムは
ルーツ色の濃いアルバムになっています。
歴史
1948年にジャマイカで生まれました。
彼は、ワイルド・キャッツのリードボーカリストとなりました。
また、テクニークスのメンバーとして活躍するウィンストン・ライリーの元で
歌手としてのキャリアを20代前半でスタートさせました。
その後コクソンドッドの元、スタジオ・ワンで彼のデビューシングル「All I Have Is Love」をリリース。
ウィンストン・ライリーとバスター・ライリーが新しいレーベル「Techniques」を設立すると、
ジョニーは、そこで活動をスタートした。
ジョニー・オズボーン&ザ・センセーションズでリリースした「Come Back Darling」は
彼らにとっての最初の大ヒットになりました。
そんな「Come Back Darling」のアルバムをリリースした後に
ジョニーは、カナダのトロントへ旅経ちました。
様々なソウルやレゲエのグループで歌った後、彼はIshan Peopleのリードボーカルとなり
2枚のアルバムをリリースしました。
そのグループは1979年に解散し、ジョニーはジャマイカに戻ることにします。
帰国後は、スタジオ・ワンのレーベルから「Forgive Them」と「Jealousy Heartache And Pain」をリリース。
1979年後半から1980年初頭まで、彼はドッドの元で多くの録音を行いました。
そんな1980年、アルバム「Truths & Rights」がリリースされましたが、
それはスタジオ・ワンの復活に貢献した傑作として認められました。
デビュー録音から11年、ジョニー・オズボーンはジャマイカの代表的なシンガーとなっていました。
その後もダンスホール期に入っていく中、
人気は衰えることなくヒットを続けてリリースしていきます。
こうしてダンスホールのゴッドファザーとなっていったのです。
最後に
ダンスホールのゴッドファザーの歌声をしかと聞いてみて下さい。
レゲエ初期の頃のルーツ色が濃い歌、確かにずっしりした感覚がある中にも
ジョニー・オズボーン特有のメロウな感じが認められます。
それがまた癖になる事間違いないでしょう。
是非ダンスホールの曲のみならず、申し越し掘ったルーツ色のある曲を聞いてみるのも良いと思います。