タッパー・ズーキーは
ルーツ・ロック・レゲエのディージェイであり、プロデューサーです。
彼もまた癖の強い、我がMusicを貫き通す軸がブレないアーティストになります。
昔から素行の悪いRude Boyだったとか。
今回はそんな彼にフィーチャーしていきたいと思います。
タッパー・ズーキー(Tapper Zukie)とは
彼は1955年に生まれたジャマイカ、キングストンのレゲエディージェイかつプロデューサーです。
U-ROYなどの「第1世代」ではなく「第2世代」のディージェイになります。
そして当時の2大政党ジャマイカの労働党(JLP)と人民国家党(PNP)のうち、労働党(JLP)の支持者だったという。
そんな彼の有名なアルバムは、「MPLA」。
歴史
1955年にジャマイカのキングストンで生まれたのち、子供の頃から音楽にはまっていきます。
彼は昔から、サウンドシステムに夢中になり入り浸っていまいした。
しかし、警察からマークされるほど素行が悪く、それを心配した彼の母親は、1973年に親戚のいるイギリスへ送ったそう。
彼がイギリスに行ってしまうことを知ったバニー・リーは、イギリスを拠点とするラリーローレンスに連絡をし、彼がレコーディングできるよう手配を行った。
それにより彼はイギリスに移住するも、そこで初のレコーディングを行うことができました。
そんな彼の初リリースは、「Jump & Twist」です。
その後はジャマイカに戻り、1975年Lloydie Slimのもとで「Judge I Oh Lord」,Lee のもとで「Natty Dread Don't Cry」をリリースしました。
そして1976年にリリースされたアルバム「MPLA」は、キングタビーのスタジオで録音されました。
彼は、自身のレーベル「Stars Record」を設立し、様々なアーティストのプロデュースを始めます。
そして、1977年に「Escape From Hell」と「Tapper Zukie in Dub」という2つのダブアルバムをリリースします。
1980年代半ばThe Mighty Diamonds , Sugar Minott , Max Romeo等々のアーティスト達と協力し、プロデューサーとして多作の時期となりました。
その後もプロデューサー行に励み、コンスタントに活動を行っています。
最後に
彼も古くから音楽に携わり、自身が歌った後にはプロデューサーとしても成功するという王道の道を歩んでいます。
王道の道を歩みつつも、彼の音楽は特徴的で、軸がブレないところもいいところですね。
是非彼の様々な曲達をチェックして見てください。