レゲエディージェイかつレコードプロデューサーのジャー・トーマス(Jah Thomas)。
アーリーダンスホールのDeejayを代表するような人物です。
今回はそんな彼にフィーチャーしていきたいと思います。
ジャー・トーマス(Jah Thomas)とは
レゲエのディージェイとしてずっと活動を行っていた人物です。
流行りの言葉や踊り方、色事やもめごとやすべてのダンスホールを
Deejayとして表現してきました。
ジャー・トーマスの特徴としては、
アーリー・ダンスホール・スタイルの空気やノリを感じさせるところです。
雰囲気がいい~感じです。
1955年に生まれた彼は、1970年代半ばにディージェイとして活動を始めます。
彼のデビュー・アルバムはGreensleeves Recordsレーベルから
リリースされた「Stop Yuh Loafin」で、国際的に評判を呼びました。
後にエロル・フラバ・ホルトに連れられて
チャネル・ワンのレコーディング・スタジオに行きます
そこで、レボリューショナリーズをバックに「Midnight Rock」を録音しました。
そして彼は、1979年自身の大ヒットが生まれた後にレーベル「Midnight Rock」を設立します。
1979年では、アルバム「Dance On / Pon The Corner」をリリースし、
それは最初期のダンスホール・アルバムの一つとなりました。
その後
トリスタン・パーマやジョニー・オズボーン、シュガー・ミノットといったシンガーから
バリー・ブラウン、トーヤン、アーリー・BといったDeejay達等々が
このミッドナイト・ロック・レーベルから曲をリリースします。
それほどに彼のプロデューサーとしてのセンスが
この頃のダンスホール・カルチャーをリードしていたことがわかります。
そんな彼は、今大きな成功を収めているシンガー
ダヴィル(Da'ville)として知られるオーヴィル・トーマス(Orville Thomas)の父親でもあります。
最後に
ダンスホール・ディージェイとしても個性のあるアーティストです。
そしてプロデューサーとしての腕も証明されている。
彼のディージェイとしての活動全盛期
70年後半、80年代前後の曲を是非たくさんチェックしてみて下さい。
そして、息子となるダヴィルと共に彼も引き続きチェックしていきましょう。