プリンス・アラ(Prince Alla)は
ルーツ・レゲエ・アーティストです。
ラスタファリでもあります。
ラスタの影響を受けた後に
現在の活動名が決定され活動をしました。
今回はそんな彼にフィーチャーしていきたいと思います。
プリンス・アラ(Prince Alla)とは
彼は、1950年にジャマイカのキングストンで
キース・ブレイクという名で生まれました。
彼のレコーディングキャリアは、
ミルトン・ヘンリーらとの
ヴォーカル・グループ
リーダーズの一員として、
1977年頃ジョー・ギブスの基で開始しました。
「Hope Someday」「Sometimes I Sit & Cry」
をレコーディングしました。
このころの曲はまだロックステディです。
同時期にキース・ブレイクの名前で
ソロでもレコーディングしました 。
1969年に、プリンス・エマニュエルの弟子となり、
ラスタファリのコミュニティに関わるようになります。
そして1975年に古き友人でもある
バートラム・ブラウンがレーベル
フリーダム・サウンズを設立し、
彼と組んでルーツ・レゲエの曲を
生み出すようになっていきます。
そこから、フリーダム・サウンズの傑作が生まれていきます。
1990年代半ばに、イギリスの
ブラッド&ファイアのレーベルから
「Only Love Can Conquer(1976-1979)」
としてまとめられている。
キングタビーによるダブミックスがされた
12インチ盤「Stone」がリリースされますが、
レゲエ史に残る傑作の一つです。
1976年では、
リー・ペリーのブラック・アークスタジオで
タッパ・ズーキーのプロデュースの基
「Bosrah」というこれまた傑作をリリースします。
そして、ジョー・ギブスの基で録音した
「Naw Go A Them Buria」の別ヴァージョンでもある
「Funeral」もリリースします。
その後再びフリーダム・サウンズで
「Bucket Bottom」をリリースします。
これらは、ルーツ・レゲエ史に残る傑作です。
キング・タビーがミックスしているものも多々あり、
どれも聞き応え満載のものばかりです。
1990年、2000年代もルーツ・レゲエの
曲を世に残しています。
ジャー・ウォリアーやジャー・シャカの
基で傑作を残しています。
最後に
ルーツ・レゲエ史を語る上で
話題に上がる、数々の傑作を残してきた
プリンス・アラ。
UK・ルーツミュージックとの関わりが
多く、聞き応えが満載な曲に仕上がっている。
古き良きから最近んの曲まで
幅広くチェックしていきましょう。